弁護士ブログ

楽しい体験~城趾訪問(番外編

投稿日:2011/03/09/ | カテゴリー:

仕事で三鷹駅に行った。早々に予定は終了。直ぐ事務所に帰るのもアレだなあと思い、駅で地図を眺めた。

三鷹駅北口に「城山」の文字を発見。「城山通り」だとか「城山公園」という単語が見ゆる。食指が動いた。城址だ。町名は「西久保」。どこかで聞いた気がする。

花粉にまみれ、やばいなと思いつつテクテクと歩いた。ところが、何も無い。この名が残った周辺は例外なく、城だった筈なのに。

困ったときは、お年を召した地元の方に聞くに限る。花粉で目も痒い。昔ながらの薬局に飛び込んで、アレルギー用目薬を買いつつ、店番の老女に尋ねた。「すぐそこに城山通りというのがありますが、その昔、お城があったのですか。」

答えを要約すると、こうだ。江戸時代、振袖火事で焼け出された人たちが、この辺りに転居してきて土着した。そして、かつて住んでいた近辺の地名をつけた。城山もそれで、ここにお城があったわけではない。転居してきた人々は、芝のあたりの人たちだったという。

それでピンと来た。そう、事務所から近い、現在で言う虎ノ門4丁目には「城山」という呼称が残り、「城山」を冠するビルも多い。この付近、旧町名を西久保と言う。そして、この「城山」はその昔、城があったと伝わる地で、城の詳細は不明であるが、便宜上「西久保城」と呼ばれている。

ちなみに、三鷹駅南口を歩いて行くと、上連雀だとか下連雀という地名があるが、これも同様らしい。「神田連雀町」から来た地名だそうだ(神社の看板を読んだ)。振袖火事を機に、幕府は江戸府内の整備を図るべく、焼け出された人々に再築を許可せず、代わりにこの地を与えて開墾を命じ、移住した人々がいるらしい。

 

三鷹に城はなかった。しかし、素晴らしい地名の繋がりを知り、何だかとても楽しい気分になった。