
投稿日:2009/09/03/ | カテゴリー:最新情報
弁護士 根岸 清一
道を歩いていて良く道を聞かれます。
若い時は、よっぽど間抜けな顔をして歩いているから、気安く道を聞かれるのかと思って、劣等感を持っていた位でした。
しかしある時、誰の文章であったか忘れましたが、道聞かれ顔があるというエッセーを読みました。その著者も良く道を聞かれるので、何でかなーと疑問に思っていたそうです。その時、誰かに道聞かれ顔というものがあると聞かされたというのです。
それで、著者はそれまでの疑問が氷解したそうです。
私は、その文章を読んで、すごくうれしくなりました。
だって、私の顔が間抜け顔だから道を聞かれるのではなく、道聞かれ顔だから道を聞かれるのだということが判ったからです。
以前は、道を聞かれても、内心何で俺に聞くんだ、ほかの人に聞いてくれよ、と思いつつ教えたのですが、その日からは、内心良く聞いてくれました。私で良かったですね。正確に教えますよ、と思いながら、ゆったりした気持ちで道を教えるようになりました。
全く同じ事象でも、ちょっとしたことを知ることによって、それまでの評価が一変することがありますね。この道聞かれ顔については、はじめの劣等感から、少し誇らしい気持ちに変わるくらい、真反対に変わりました。
確かに自分だったら、意地悪そうな人、気難しそうな人、いいかげんそうな人に道を聞こうとは思いませんね。親切そうな人、少なくとも嘘をつかなそうな人、一言で言えば誠実そうな人に道を聞くはずだと思います。
ということは、道聞かれ顔の人は、誠実そうな人に見えるということですから、劣等感を抱くどころか、自信を持って良いのだと思うようになったのです。
最近は、結構外国人にも道を聞かれることが多いのですが、ということは道聞かれ顔というのは、万国共通のものがあるのかも知れません。ただ、私は英語が全く不得意なので、ちょっと困りますが。
豁然と悟るという言葉がありますが、単に道聞かれ顔という言葉一つで、自分自身の評価が180度変わったことがありました。
あなたも、道を歩いていて、誰かに道を聞かれたら、ぜひ道聞かれ顔という言葉を思い出して、良くぞ聞いてくれましたと思って、親切に教えてあげて下さい。
私も、法律問題の道聞かれ顔たれ、と常々思うようにしています。ただ、こちらの方は、何時まで経ってもまだまだ道半ばのようですが。