かすみ日記

遺 言 は 喧 嘩 の 元

投稿日:2015/04/22/ | カテゴリー:日記

弁護士 齋 藤 則 之

民法は均分相続を謳っている。相続は兄弟みな平等である。この原則の下で遺言をするということは平等原則を修正することになる。平等原則を一部変更しないと兄弟間に不平等を招く事情がある。これが遺言をする理由とされる。

問題はここから発生する。どんなに専門家の指導援助を仰いだとしても、不平等、取分の格差が生じるのは避けられない。些少の違いならどうということもないが、倍以上の差であれば、不利な扱いを受けた者は是正する方法がなければ、遺言の効力を争うことになる。呆けた親を「だまして遺言をさせた」から遺言は無効だと言い募り、相続手続はしばらくお蔵入りとなる、遺言無効確認の裁判が延々と続けられる。

悲惨なのは、自分に不利な遺言があることを親に"白状"させるや、誰かさんと同じで、親を遠く都道府県外に"拉致"し、今度は自分に大甘の遺言をさせるのである。さらにこれを聞きつけた第三の兄妹が自分本位の分け前を狙い同じく遺言変更を企てるのである。まさに親はピンポン玉にされてしまう。が、反対して気を悪くすると酷い扱いを受けかねないと不安があるのか、求められれば何時でも「うん うん」で遺言をしあるいは変更する。本人に被害者意識はまったくない。

高齢による体力と気力が低下すると、通常、正常かつ健全な判断能力にも影が差す。こんな人間に子ども来し方行く末を踏まえて、敢えて平等原則をいじってまでして実質平等の相続の実を上げるテクニックを期待することはまず不可能である。にもかかわらず遺言をと口にする親はいない、筈である。
が、いるのである。その意思もなかった親に遺言させるからである。

平等相続により些少の格差が生じても、話し合いで十分解決できる。しかし、遺言があれば、遺留分による補正ぐらいしかできず、後味の悪い結末となる。相続人がない人、子に特別の障害者がいるなど、子ども同士の善意に託すことが出来ない場合などは遺言が推奨されることは言うまでもない。
口は災いの元。遺言は争いの元。兄弟喧嘩の種を残して死んだと恨まれますよ。
どうします。